「命」についてのお話

たかが美容師ですが、今日はちと硬い話をさせて頂きます。
本日、僕も利用しているSNSでゴルゴ松本が少年院でした「命」について語った授業が素晴らしい、との投稿を見かけました。
今月は広島、長崎に原爆投下があったり終戦記念日がある事もあり『命の尊さ』について語られる事が多く取り上げられるのではないでしょうか?
僕もゴルゴ松本さんの言われている事は素晴らしいと思います。SNSくらいの軽い情報交換の場として「こんな事を語っている人もいる」レベルの話として、であれば何の問題も無いと思うのですが仮にも授業という形をとって教える側、教えらる側として立場が明解になっていると教える側の言葉・内容には責任が伴ってくるのではないでしょうか?
社会に出て「学校と社会の違いは?」って聞かれた場合、学校では正しいと教えられたものが社会では正否とば別の答えがある、という矛盾を誰しもが痛感するのではないでしょうか?芸能界の様に特殊の世界で生き残っていく為や仕事を得る為には他の人よりも矛盾を感じていて彼自身もこの世界で生き残る為の手段としてこの話を使われたのかもしれません。
またバラエティー番組の企画だからと軽いノリなのかも
昔はTV番組においても「報道」「バラエティ」と分けられていて話しの内容にも正否や信憑性という点で見る側にも判断が付きやすいものになっていたのではないでしょうか?
それが久米宏がニュースのパーソナリティを務めるようになったあたりから報道とバラエティも線引き、区別もなくなったりコメンテーターと言われる人も専門知識を持ち合わせていないタレントだったり。またその場を仕切る役割の編集長という役職の方のレベル低下なのでしょうか?

ジャーナリストの肩書きを持っている人も専門知識を持ち合わせていない人だったりと混乱しすぎていて教える人の立場にもっと責任がなくてはいけないのでは?それが無くなると命よりお金の方が大切、仕事が大切、視聴率が大切の様な混乱の危惧を僕は感じてしまうのですが、いかがでしょうか?

BLOG

Posted by koasa